遅刻をしない方法を見直してみる

時間ギリギリやグレーの範囲であるのはいつものことで、子供の頃から遅刻をすることが度々あった。
しかも割と大事な時に限って。

社会見学のバスの出発時刻。
部活の試合の開始時刻。
友人の結婚式の受付。
親類の葬儀の出棺時刻。

だから、遅れたときの落ち込みようも酷く、そのたびに本やネットで色々と調べて対策をしてきた。
効果のあったものもあれば、全く意味の無かったこともあり、都度、取捨選択をしてきて、現在残ったものをその理由を考えながら再び見直してみようと思う。

準備をしておく:「明日やる」はやらない

これだけは確実にやっておいた方が良い。
備えあれば憂いなし、ではないけれど、出かける前のタスクを減らすのは効果的。
でもこれがなかなか出来ない。
面倒だから、というのは明白なのに、明日のことを今やるなんて合理的ではない、などと考えてしまい、ともすれば、あれとあれを用意すればOKだから、などと頭の中で出かけるまでの流れを再現しただけで満足してしまう。
だが、財布がいつものところにない、シャツに皺が付いている、寝癖が直らない、など、その通りにいかないことも多い。
しかも、前日に面倒だったことがその日になって面倒でなくなることなど無い。
例えば、財布がいつものところにきちんと置かれていれば面倒なことなど少しもない。
ということは、もしかしたら財布が思っていたところにないことを予想していたのではないか。
その場合は、どこへいった、と探さねばならない。つまり、これが面倒だったのではないだろうか。
良く言われるが、明日やるはやらない証拠、ではあるし、出来ない証拠でもある。
明日からダイエットするので今夜は甘い物を沢山食べる、といっても、今日までの分が明日以降に現れるわけです。朝がきたからリセットされるわけではなくて時間はちゃんと繋がってしまっています。

正しいスケジューリング:「余裕を持った計画を立てる」の曖昧さ

遅刻なんて全く気にしない!という方でない限り、ほぼ全ての人が5分や10分、多ければ30分以上も余裕を持ったスケジュールを既に組んでいるだろう。
それでも遅れてしまうのですよね…不思議と。
全くこれには弱る。何分前行動したら間に合うのだろうか。
出発時間はほぼ想定内。
忘れ物して家に戻ったりもしていない。
ということは、あとは道程。
寄り道をして道草くっているわけではない。
寄ったとしてもコンビニでちょっと買い物をするくらいだ。
“いつもより”レジが混んでいた気はするが10分余裕を見ているのだから大したことではない。
ただ、”いつもより”赤信号で停まることが多かったかもしれない。
で、この”いつもより”が積み重なって遅れてしまう。
家を出て目的地までの時間を「いつも通り」を前提に計算している。
同じ道を辿っても、時間帯や日にちによって掛かる時間は異なる。
いつも通りなら50kmで走れるのに。いつも通りなら青信号のはずなのに。いつも通りなら電車の乗り換えが上手くいくのに。
世界が自分の考えている通りに順調に回っていると思っている。
5分の余裕を持った行動をしたとしても、赤信号ひとつ引っかかれば帳消し。
10分の余裕を見ていても渋滞していたらそれ以上掛かるだろう。
つまり「いつもを前提にした余裕」は希望に過ぎないということ。
どれだけ余裕を持っても遅れるときは遅れるのだけれど、”いつも”を排除した計画を立てると遅刻の頻度は減った。

時計は正確に:時計を早めるの罠

前から疑問だったのだが時計を早めることに何の意味があるのだろうということだ。
例えば5分早くしておいたとしても5分早くしてあることは自身は知っているのだから、あと5分余裕がある、と思ってしまう。
で、本来の時間が曖昧になり、出発時間が遅れる。
しかも、スマホやパソコンはネット経由で自動的に時刻のずれを調整するので、多少焦ったとしてもスマホを見て安心してしまう。
甘いと言えばそれまでだが、大抵の場合、人は楽なほうに流されるものでしょう?きっと…。しかも追い詰められているときほど。
逆に時計が遅れている場合はどうか。
…これは言わずもがな最悪。
9時に家を出るつもりだったとして、5分ほど遅れている時計が8:57を指している。
この時点で2分遅れているのに、脳内では”まだ9時”と認識してしまうのだ。
甘えが重なれば更に酷いことに。
つまり時計は早めるでもなく、遅れるでもなく、兎に角正確な時刻にしておくべきなのだ。
アナログ時計は特に。

電波時計

私は時刻のずれや誤差を自動修正する電波時計を使っています。
お気に入りの見易くカチコチ音のしない電波時計。

デジタル表示は味気ないので使ってはいませんが、日付、気温、湿度も表示できる上にセイコーなのに安い!

思いやり:ひとりでは生きられない

約束をする相手は、石や草ではなく人だ。
遅刻しそうなとき、頭の中では言い訳をこれでもかっていう程に考えているが、それは大抵自分の正当性を証明したいだけで、相手のことまで考えは及んでいない。
利己的になりがちなのが、この遅刻しそうなときの思考だと思う。
というより、追い詰められているときに傾くということは、本質的に利己的なのだと思う。
つまり、そもそも普段から他者への思いやりを持つ必要があるということだ。
考えてみれば、準備をしている段階から、相手のことを考えていれば遅刻も早々できない。
極端なことを言えば、相手も、相手の限りある生命の時間を使って約束をしてくれているわけで、遅刻するということはその時間を無駄にさせる。
誤ったところで過ぎた時間は取り戻せない。

まとめ

結局自分自身が遅刻対策として残っているものは、代表的なものばかりになってしまったが、自分の考え方やスタイルに合わせて捉え方が異なる。
恐らくネットで調べた通りに行動しているのに一向に改善しないという方は、もしかしたら対策がご自分に合っていないのかもしれない。
若しくは自分流にアレンジしてみる必要があるかもしれない。
調べたことを盲目的に信じるのではなく、自身の状況などに照らし合わせてみて、それぞれに合った方法を取ることでより遅刻は減らせると思う。

※あまりに遅刻癖が酷いという場合は、ADHD等の可能性もあるようです。

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