9月19日にトヨタがGRシリーズの展開を発表した。これまでのスポーツカーブランドG’sをGRに統合するようだ。
その発表会でGAZOO Racing Companyのプレジデントが次のように述べている。
いわゆる「若者のクルマ離れ」への対策としても、こうしたスポーツモデルなどで「われわれがもっと若年層の方に近づいていかなければならない」と指摘した。
果たしてスポーツグレードが「若者の車離れ」への対策となるのだろうか。
目次
GRシリーズとは
WECやWRCなどに参戦するトヨタのモータースポーツ部門(事業)GAZOO Racing直系のスポーツカーブランド。
公式サイトによればGRシリーズは次のヒエラルキーを持って展開される。
- GRMN…台数限定生産。走りの味を追求した究極のスポーツモデル
- GR…操る歓びを日常的に実感できる本格スポーツモデル
- GR SPORT…ライフスタイルに合わせて走りを楽しむエントリースポーツモデル
- (GR PARTS…気軽に楽しめるアフターパーツ)
第1弾として、GR SPORTから「プリウスGRスポーツ」「マークXGRスポーツ」「ハリアーGRスポーツ」「ノアGRスポーツ」「ヴォクシーGRスポーツ」「ヴィッツGRスポーツ」、GRから「ヴィッツGR」の7車種が発表。
以降、「86GR」「プリウスα GRスポーツ」「アクアGRスポーツ」「ヴィッツGRMN」が発表されるようだ。
若者の車離れ
主観
金太郎飴のように、若者の車離れ対策、と謳われるが本当に、若者の車離れなど起きているのか?
個人的な感覚で言えば、地方都市に位置する地元の若者を見る限り車離れは起きていない。
というのも、首都圏のように公共交通網が充実しているわけではなく、自分の車がないと仕事にしろ買い物にしろ、生活が成り立たないからである。
ではなぜ、若者の車離れ、などと言われるのか。
理由のひとつは、少子化にあることは容易に想像できる。
若年層の人口が少ないため、相対的にも絶対的にも、若者の自動車購入数が減少した。
それともうひとつ、首都圏への若者の流出である。
学歴社会と呼ばれて久しく大学に通う人も多くなった。大学は首都圏に集中しており、そのまま就職も首都圏で求める人も多いだろう。
また、大企業も首都圏に集中しており、給料も中央と地方ではかなりの差がある。
首都圏では先に述べた通り、公共交通網が充実しており車など持っていなくても生活が出来る。
車など持っているだけで税金や整備費用、駐車場代と維持費がかなり掛かる。
そんな持っているだけでマイナスの消耗品を、更に数百万も費やして手に入れようと思うだろうか?
私は免許を取得したその足で中古車屋を訪れたくらい車が好きだったが、都心で暮らしているときには少しも欲しいと思わなかった。
自身が今の若者と同様であるとは思わないが、都心で生活していて車が無くて困ることはなかったし、必要なときはレンタカーで十分であった。
まぁこれは主観に過ぎないので客観的な理由を探してみる。
若者の車離れの原因
大まかな原因はwikipediaにもまとめられていた。
免許取得費用の上昇
最近免許を取得した親戚の子供に免許取得費用を聞いて驚いたが、現在30万ほど掛かるらしい。倍とはいかないまでも私が取得したときよりも大分上昇している。
車好きだった私は何とかバイト代を貯めて高校卒業と同時にMT免許を取得したが、30万も掛かるとなると、結構インパクトが大きい。諦めていたかもしれない。
自動車価格の上昇
グローバル化によるサイズアップや安全装備など自動車の新車価格の高騰がもうずっと続いている。
販売減少により生産台数を絞るので大量生産によるコストダウンもせず、買える層である高齢者の意見を取り入れて高級志向になっていく。
新車価格が上がれば中古車価格も比例して上がるわけで、車が買えない。
所得の減少?
免許や車の価格が上がる一方、所得は減少している。
と言いたいところだが、実際に可処分所得が減少しているかと言えば概ね上昇傾向にあるようだ。
若年層の消費実態(1)-収入が増えても、消費は抑える今の若者たち
ただ、可処分所得の増減率(2014年男性で12.2%)と比較すると、やはり免許取得費用や自動車価格の増減率の上昇が上回っている(下記サイトの表を参考にすれば50%ほど上昇)。
所得に対して自動車関係に掛かる費用の比率が購買意欲すら削がれる高さ。
ローンを組むにしても、終身雇用が崩壊している現在ではそれも恐い。
ライフスタイルの変化
これはデジタル機器、特にスマートフォンやパソコンなどの通信機器の普及が大きい。
実質消費支出が減少しているにも関わらず、携帯電話の通信費は若干の増加傾向。
通信費はそのための端末が必要になるわけで、そのためのスマホやパソコンなどのデジタル端末の消費が増加している。
消費者庁の調査によると、自動車関係の支出は男性では1999年と2014年では半分以下(逆の女性では2倍以上とはなっている)、所有率も下がっており、自動車への支出が他に回っているとも考えられる。
その他、住居やライフラインへの支出の増加も見逃せない。生活するだけで結構なお金が掛かり、更に年金を含めた社会保障や消費税などの税金も今後は右肩上がりだと想定される。
社会的責任
プリウスや昨今のEVシフトにより、大気汚染の問題が逆効果となっているようにも思う。
幼い頃から大気汚染の原因のひとつとして挙げられる車を持つ責任を考えるようになっている可能性はある(大気を汚染する原因を持つことへの嫌悪)。
また、事故などによる社会からのドロップアウトへの恐怖もあるだろう。
若者の車離れというよりは社会全体の車離れ
このように所得が減少しているにも関わらず労働を含め社会で生活する上で必要なことが増えた。スマホとは言わなくても携帯電話が無い状態で仕事を探すのは今の世の中かなり大変だろう。
地方では同じように車というものが不可欠であり所有するしかないが、大都市に人口が集中している現代社会では、車は所有する必要のないものになってきている。
乗るための免許、車体、保険、税金と何十苦か分からない上に、事故やら環境やら社会的責任というデメリットが大きすぎる。
つまり、合理的に考えれば、公共交通機関が充実している都市圏で車を所有する意味がほぼ無い。
これは、若者の車離れというよりも、社会的な変化であり、若者に限らず社会の車離れと言える。
なぜ車に乗るのか
ではなぜ、不要なものが売れるのか。
それは、根本的だが生物は移動するものだからだ。
人間の原始生活で考えれば、狩猟するため歩いた。
更に遠くに行くために馬を使うようになった。
その現代での帰結点のひとつが自動車。
また、自動車に限らず現代的な移動ツール(電車、船、飛行機など)で可能な移動距離・時間を前提に現代の経済は成立しており、これらの移動ツールを手放すことなどできない。
自動車を所有するということ
高度成長期の新・三種の神器に自動車が含まれている。
つまり、自動車の所有は、ひとつの社会的ステータスであった。
戦後の三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)の所有が一般的になり、新・三種の神器が必要になったように、社会とともに所有が一般的になる。
自動車の所有が一般的になって、自動車はどうなったのか。
白黒テレビがカラーテレビになり、今では液晶テレビになったように、車の質で他者との差違で所有を比較するようになる。
だが、自動車の持つ性格上、個人が捻出できるお金の制限や道交法などの法律によって、その範囲は決められており、市場競争や技術の進歩により上限に近づけば自然とこれらは横並びとなる。
所有は一般的になり、更に物(車)自体に差違がなくなり、所有というステータスが無くなったときどうするのか。
ひとつの答えは、所有しない、ということにあるだろう。所有しない、ということを選択したという意識。所得も低く、多様化した文化の中に置かれた若年層はこちらを選ぶことが多いため、若者の車離れ、ということに繋がるのだろう。
しかし、先の述べたように、車というものは生活と切り離せない移動ツールではある。
だから、ということも無いと思うが、環境問題への意識、という社会全体の問題を車に担わせ、より高次元のステータス(社会善)を与えた。
プリウスが車としてのスペック上、特段優れているわけでも無いがここまで売れている理由のひとつは、この意識の象徴であったことは疑えない。
つまり、社会的なステータス(社会的責任?)が、物の所有、から、意識の所有、になってきていると言えるとは思う。
GRシリーズが目指すところ
さて、ようやくGRシリーズのことになるが、上記の理由によって、今更スポーツブランドを売り出す意味はあるのだろうか?と率直に思う。
世界のモータースポーツに参戦して培われた技術は公道で不要であっても、安全性や動力性能に確実に違いが出るだろう。
また、未だ車の所有がステータスとして認められているし、高級感やスペックが他者との差違を生み出している現実もある。
ライフスタイルの変化の項にあるように、女性の車関係の支出は増えており、偏見含んでいるが、女性がスポーツクーペやSUVに乗っている割合は男性に比べると多いと思うし、ここのシェアを取りたいという意図はあると思う。
かといって、男性や高齢者市場も取り込みたい。
だから、ヴィッツやアクアというコンパクトスポーツから、ハリアーというSUV、ファミリー向けのノア、ヴォクシーなどのミニバンに、マークXというあらゆるボディでの展開になっているのだろう。
しかし、ひとつ腑に落ちないのは、何故上位モデルばかり出すのだろう、ということ。
先述したように、社会的に車離れが起きているので、単価を上げなければならないのかもしれない。
現在の生産工程では薄利なのかもしれない。
けれど、そのためにグローバルプラットフォーム化したりと、合理化しているのではないか。
それなのに、所得(経済)と反比例するように自動車の価格は上がるばかりで、その責任を社会に擦り付けている。
上位モデルを出すばかりでなく、下位モデルを出したり、値下げを行うなど見直して欲しい。
と、長々述べてきたが、要は「今の車は高すぎる。安くしろ」ってことです。
通信事業とかどうだろう
安くしろ、というのは、お客様は神様なのだから赤字覚悟で値下げしろ、と言うようなものだ。
個人の生活コストが上昇しているということは、車の生産コストも勿論上昇していることだろう。
だから、個人の生活全体として、自動車関連費用を別の費用とシェアするように出来れば、値下げと同じ効果は出るのではないか、と思う。
例えば、通信事業。
所得における通信費はそれほど増加していないものの、通信費におけるスマートフォン等の通信費用は割合増えている。
今後もっと増加するだろうし、車は自動運転含め情報端末になっていくのは必至。
インターネットに常時接続して情報を取得するのもそう遠くはないだろう。
MVNO等で通信事業に参入して、音声通話+データ通信(自社ナビの情報通信は無料)的なプランなどがあれば、家計への圧迫は緩やかになるのではないだろうか。
メンテナンスパックに入っているひとのみ月割り引き等、他の施策で顧客の囲い込みもできる。
クラウドミュージックなどの再生など結構な見込みはあるのではないか。
その他、テスラが家庭用バッテリーやソーラールーフを展開しているように、生産コストを他のプロダクトに分散させるという方法もある。
EV化していくらならば可能性はあるだろう。
自動車メーカーに限らず個人でも、収入の分散化はこれからの時代には必須となりそうだなぁ。